ぶらいふ のるん

服飾に関するメモ

暑苦しい季節へ

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積みプラを崩すか次の針仕事をこっそり始めるか悩み中。

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バーザム、いい機体ですねえ。

【何の日】「ポニテ協会」夢のあと:6月17日~6月23日の服飾関係の記念日がありませんので……

6月17日~6月23日の服飾関係の記念日は、ありません。

6月17日~6月23日の服飾関係の行事・イベントは、ありません。

6月17日~7月23日で提案したい服飾関係の記念日は、ありません。


さて、しばらく服飾関係の記念日がない週が続くので、今後の服飾関係の記念日について少しお話をします。

【何の日】「セーラー服の日」など私が提案したい服飾関連の記念日:1月から6月でも簡単に触れましたが、服飾関係の記念日というのは、服飾に関わる個人や企業、団体が決めたものと愛好者などにより自然発生したものがあります。

これらの記念日は、服飾に関わる個人や企業、団体、そして愛好者が広めたり管理したりします。企業は服飾を作る企業が、個人や愛好者は文字通り服飾の愛好者が挙げられます。そして団体は日本ふんどし協会などの服飾名を関した団体が挙げられます。

その服飾名を関した団体の中に、(これは服飾とは異なりますが)「日本ポニーテール協会」というのがあります。

この「日本ポニーテール協会」、1995年に「ポニーテールの日」を定めるなど比較的古い団体「だった」のですが、2015年4月に公式ホームページの運営を終了すると、関連するSNSをすべてアカウント削除するなどしたため、現在音信不通状態になっています。

別に同名のホームページがありますが、同じ団体が立ち上げたのかどうかは不明です。

(ちなみに日本ツインテール協会は健在です。)

情熱を持って愛好していたのに、突然活動をやめてしまうのは寂しいものがあります。

【お知らせ】来週の【何の日】は休止します。

日本人よ、そんなに「人権」が憎いのか!?

問題:「基本的人権」を表すのに適した文章を選べ

  • 偶然立ち寄った洋食店のメニューでカツカレーがあった。若干高価だったが自分のご褒美にと注文した。注文したカツカレーを十分に堪能し、代金を払って洋食屋を後にした。
  • 偶然立ち寄った洋食店で一番安い注文し食べていたら、別の客が高価なカツカレーを食べていた。「不平等だ!自分の基本的人権が侵害された!」と憤慨し、その別の客を盗撮しSNSでつるし上げた。

本来「基本的人権」としてふさわしいと思われるのは前者ですが、今の日本ではその「基本的人権」を行使する人を難癖をつけて引きずり下ろすのが真の「基本的人権」であるかのような解釈が平然と行われています(もちろん人の上に立つ人は「基本的人権」を持つものの上に立つためにそれ相応の「制限」が課されています)

所得に差があるのが「犯罪扱いされない」のが「基本的人権」。

趣味や嗜好が違うのが「犯罪扱いされない」のが「基本的人権」。

思想や信条が違うのが「犯罪扱いされない」のが「基本的人権」。

それらの違いを、枠にはめて、ふるい分けて、違いを一切なくそうとするのは「基本的人権」ではありえない!

基本的人権」を定めた現行憲法が施行されて70年たつのに、その「基本的人権」を「ゆがめよう」「なくそう」というのはどういうことだ!?

日本人は「基本的人権」を憎む民族としてずっと生きてきたのではないかとしか思えない!

私はこんな状況で、一体どうしたらいい!?


後半は過去の記事より……


日本は「違うことに不寛容」な国だと感じます。

One World

One Nation

One Rule

One Trive(*1)

One Language(*2)

「テルマエ ロマエ」でローマ人を演じた阿部ちゃんみたいな人もいるのに、「日本人は違いが無い、あるいは少ない」べきだという考えが支配しているのではないかと思います。

日本人とはいえ、一人ひとり違います。しかも、ごくわずかではなく大きく違います。

姿かたちは一人ひとり違います。双子や三つ子でさえわずかに違います。

好みが違います。大衆が好まないものを好む人もいます。

考えが違います。他人に絶対合わせない人もいます。

極端な大金持ち、極端な貧乏人がいます。その両方を経験した人さえいます。

そのほか、ここに挙げきれないような違いがあります。

「違いを認める」という考え方がじわりじわりと浸透していますが、私は不十分だと思います。

「違いを認める」だけではなく、「違いを許す」。

「違い」を無理やり埋め合わせよう、「違い」を無理やりなくそうとすることは尊厳の蹂躙です!


国民個人個人の「違い」、すなわち個人差が小さければ社会システムが作りやすいとは思いますが、少子化で国民の減少が避けられない日本では、外国籍の人にお願いして帰化してもらうだけでなく、本人の事情もしくは意思で帰化をしないという外国籍の人も住人として受け入れて行かなければいけません。彼らの「違いを認める」だけではなく「違いを許す」社会にしていくことが日本が世界で生き延びて行くためのひとつの道じゃないかと思います。

東南アジアのイスラム教徒を観光客として迎えるための体制を整えることが出来ていますからね。「違いを許す」社会、私は、可能だと思います。

  • *1:実際には「日本人」はOne Triveでは無いんですけどね。
  • *2:実際には「日本語」は以下略